バナール著『ブラック・アテナ』の第一巻が翻訳されたことは大変喜ばしい出来事である。すでに第二巻が金井和子さんの翻訳で刊行されているが、訳出にはさぞ多くのご苦労があったに違いないと推測していた。今回の第一巻の訳書も、片岡幸彦氏の序言「本書刊行にあたって―国際社会に衝撃を与えた新しいパラダイム」と幸泉哲紀氏の解説『ブラック・アテナ』をどう読むか―「ブラック・アテナ論争」を中心に」が加えられていて、日本の読者のための懇切丁寧な配慮がなされている。この点について、片岡氏、幸泉氏に感謝したい。
本日は、古代ギリシア史を専門とする立場からの発言が私に課せられた役目であろうと承知している。その立場から言えば、バナール氏の主張の妥当性にも、結論に到るまでの論証過程にも、少なからず疑問を感じていると言うのが正直なところであるが、そして、今日はそれを具体的に指摘することも考えたが、批判あるいは反論としては、Lefkowitzらの著作(この著作については、幸泉氏の解説に言及されている)があり、私は同書に対し違和感を感じてはいるものの、少なくとも、自分自身が抱いている疑問点はすでに同書でも触れられているので、ここであえて一つ一つを取り上げて検討を加えることは避けたい。繰り返しになるばかりで、あまり意味がないし、時間の余裕もないからである。
特に、バナール氏の挙げている論点の多くは、肯定、否定のどちらについても決定的な証拠がないため、結局水掛け論になってしまう。今回氏が寄稿されている文章に記されている事例にのみ触れるならば、ギリシア語の語彙の多くがエジプト語やセム語の語彙と共通している、という点について、その限りではバナール氏の主張は正しいといえようが、古代ギリシア人が、彼らにとって先進文化であるオリエント文化から多数の単語を借用し、そのために、ギリシア語の語彙にオリエント由来のものが多いというのは、少しも不思議ではない。古代ギリシア人がオリエント文化と接触することによって、初めて獲得するに到った知識や、考え及ばなかった概念に出会い、それを自分たちの言語で表現しようとしたとき、すでにオリエントの人々が使用している語彙を借用した、ということは十分あり得るるからである。卑近な例を挙げれば、日本で最近人気のサッカーの場合、ゲーム用語の多くが英語であることと、それは似ている。アウェイだとかロス・タイムだとか、英語は知っていても、サッカー用語としてどのような意味なのか、つい最近まで私は知らなかったが、これらの語のゲーム上の意味を日本語に置き換えることはかなり困難であり、既成の英語の表現を借用したほうがむしろ分かりやすい。この例と同様に、語彙に非インド・ヨーロッパ語系の言葉が多いということは、古代ギリシア人の出自を物語る決定的証拠とはならないのである。このように、ほとんどの論点が、イエス、ノオ、のどちらとも言いうるもので、あまり生産的な議論とはなり得ない。歴史学においては、あるいは、私自身は、というべきかも知れないが、可能な限りそのような論点、つまり水掛け論に陥りがちな論点を取り上げることは避けるよう心がけている。
もちろんバナール氏が西ヨーロッパ中心史観の誤りを指摘したことには、大いに共感を覚える。それは正しいし、大きな功績であると言えよう。しかし、古代ギリシア人がエジプト出自だというのは無理な結論だと思う。
ヨーロッパにおける18世紀末からの古代ギリシア愛好熱は、19世紀には過剰なまでの高まりを見せた。それは、オスマン帝国からのギリシア独立を支援するという効果を挙げた。しかし、この19世紀のギリシア愛好趣味(フィルヘレニズム)は、西ヨーロッパによる古代ギリシアの私物化(アプロプリアシオン)という結果をもたらした。それは、古代ギリシア人が望んだことではなく、西ヨーロッパ人が勝手にしたことである。バナール氏がそれに疑問を呈し、異議申し立てをしたことは、大きな功績として評価できる。
西ヨーロッパによる古代ギリシアの私物化については、最近の欧米の古代ギリシア史研究でも、軌道修正が行われ始めている。我田引水のようで恐縮だが、私を研究代表者とする科学研究費補助金による基盤研究B−2「ギリシアにおけるポリスの形成と紀元前8世紀の東地中海世界」(平成15~17年)は、前8世紀におけるエジプト、フェニキア、アッシリア、ギリシアの相互影響関係を想定し、そのなかでポリスが誕生した、という課題を立てての研究であった。東地中海域文化圏の重要性は今後も強調すべきであり、共同研究を提唱したいと考えている。その限りで、バナール氏の見解には留保つきながら共感を覚える。留保つき、というのは、さきほども述べたように、古代ギリシアはエジプトの影響があってこそ古代ギリシアとなりえたのだが、エジプトの植民地として出発した、とはどうしても思えないからである。
このように、『ブラック・アテナ』の功績は確かにあることを確認した上で、この作品をどう評価すべきかと考えたときに、類似の現象が19世紀に存在していたことに気づいたので、そして、どなたもご存知のはずだが、『ブラック・アテナ』に関連しての指摘はこれまでほとんどなされていないようなので、それをお話しようと思う。19世紀のヨーロッパでは現在に到るまで大きな影響を及ぼしている重要な学説がいくつか生み出された。その一つにバッハオーヘンの「母権論」がある。人類の初期の社会は母権制の社会であった、と言う考え方は、人間社会がその初めから父権制であった、とするキリスト教の教えに反するものであったから、当時のヨーロッパ社会において、賛否どちらの立場をとるにせよ、大きな反響を呼び起した。
このバッハオーヘンの「母権論」をいち早く自分の研究に取り入れたのが、モーガン『古代社会』であり、さらに、バッハオーヘンとモーガンの見解を取り入れながら、自説を展開させたのがエンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』であった。バッハオーヘンの母権論は、1970年代末から80年代に盛んになった古代ギリシアの女性史研究においても重要なテーマとなった。なぜならば、バッハオーヘンはその母権論を導き出す際に、ギリシアの神話、伝承を主要な論拠としたからである。たとえば、アイスキュロス作『オレステイア』三部作がその一例である。アゲメムノンを殺害したクリュタイメストラを、息子オレステスが父の敵を討つということで殺害し、その後に母殺しの罪の意識に苦しめられ、ついにアテナイで裁判を受け、アテナ女神の支援を受けて無罪の判決を勝ち取る。前458年に上演されたこの悲劇三部作を分析し、簡単に言えば、母よりも父のほうが子供にとっては上位に位置づけられる存在となり、ここに母権制社会から父権制社会への移行が見出だされる、という結論を出している。
古代ギリシアの神話や伝承を主要な論拠として人類史上の母権制社会の存在を提唱したのであるから、古代ギリシアの女性史を研究する者たちがバッハオーヘンの立論の根拠を点検しようとしたのは当然である。そこで注目されたのが、1960年代後半から70年代に続けられていたS.B.Pembrokeの研究だった。その研究は、唯物史観の発展段階論論駁を目的とし、人類初期の社会が母権制であったという解釈の論拠を史料の再検討を通して否定した。このPembrokeの研究に、古代ギリシア女性史研究者たちが啓発されて到達した結論は、確たる証拠がなくて、いかようにも論駁可能な点を根拠とする議論は不毛であるので、歴史的発展段階としての母権制の概念を留保、あるいは放棄すべき、というものだった(S.B.Pomeroy,
Goddesses, Whores, Wives, and Slaves: Women in Classical Antiquity, London,
1975; M.B.Arthur, Review Essay: Classics, Signs 2(1976), 382-403、なお、この研究動向については、桜井「古代ギリシア女性史研究―欧米における最近の動向―」『歴史学研究』552(1986),
33-45を参照)。
このように、バッハオーヘンの「母権論」の重要性は知識社会学的に大いに評価されるべきだが、古代ギリシア史研究においてはすでに評価は定まっている。誤解されないように付言するが、バッハオーヘンの母権論があたえた功績はいまなお大きい。母権制社会の存在について論証はできないものの、私個人としてはやはり人類の初期においては母権が大きかったに違いないと考える。ただ、古代ギリシア社会からそれを論証することはできない、ということを確認しておかなければならない、ということである。モーガンの『古代社会』もエンゲルス『家族・・・の起源』もいまなおその意義は失われていない。したがって、古代ギリシアの家族制度について講義するとき、私はこの三者の功績に必ず触れることにしている。学問の現状とその意義を正しく理解するためには、先行研究の十分な把握が不可欠であるからである。
バッハオーヘン現象に似ていると思われるのが『ブラック・アテナ』である。19世紀中葉のヨーロッパで『母権制』が現れたように、20世紀も最後の四半世紀に公民権運動が一定の成果を上げたアメリカ合衆国でそれが現れたことの意味を考慮すべきであろう。幸泉氏が解説で述べておられるように、本書も今後は知識社会学の観点から論じられるべきかと思われる。なお、バッハオーヘン以前の18世紀に北米大陸へ渡ったフランス人宣教師たち(Lafitou等)が、先住民を観察する際に古代ギリシアに存在した進歩観を比較の対象として用いたことについて、ペンブロウクの研究を引いて紹介したことがある(桜井「『古典古代における進歩』について」『進歩とユートピア』ヒストリー・オヴ・アイディア叢書14、平凡社、1987、296-302)。そこでいま気づかされるのは、北米大陸にとっての古代ギリシアという問題の存在である。これも知識社会学の分野の研究となろうが、これについては今後に研究がでてくることを期待したい。
いま紹介したPembrokeの研究によって、古代ギリシアの神話から歴史的事実を導き出すバッハオーへンの方法が破綻を来たしていることは、すでに明らかにされているにもかかわらず、著者バナールがこれに言及しないのは研究史の軽視というべきであろう。(ただし、『ブラック・アテナ』の原書Vol.1の文献表にはPembroke,S.(1967),
“Women in Charge: The Function of Alternatives in Early Greek Tradition
and the Ancient Idea of Matriarchy,” Journal of the Warburg and Courtauld
Institutes 30: 1-35 は含まれている。)バナール氏は古代ギリシアの専門家ではないのだからやむを得ない、というしかないのであろうか。しかし、それでは孜々営々と続けられてきた研究者たちの営みが無に帰してしまいかねず、残念に思われる。この点を考量されたならば、Black
Athenaの論証方法は少し違ったものになったのではないか、と惜しまれる。頑迷な古典学者は別として、多くの最近の古代ギリシア史研究者はオリエントの先進文明がギリシアに与えた影響については否定できないと考えているのであるから。古典学の碩学、バーゼル大学名誉教授W.BurkertのDie
orientalisierender Epoche in der griechischen Religion und Literatur, 1984;
Babylon, Memphis, Persepolis: Eastern Contexts of Greek Culture,2004 は高い評価をえているのは、その好例である。
なお、管見の限り、バナール著への批判としてバッハオーヘンとペンブロウクに僅か数行であるにしろ言及しているのは、Edith Hall, “When
Is a Myth Not a Myth?: Bernal’s “Ancient Model”, R.Lefkowits and G.M.Rogers(eds.),
Black Athena Revisited, Chapel Hill and London, 1996, p.346)だけであった。
(以下に本文中に言及した著作の訳書をご紹介しておく。)
J. Bachohen, Mutterrecht, 1861
岡道男、河上倫逸訳『母権論』1,2巻、みすず書房、1991
吉原達也訳『母権制』上、下巻、白水社、1992
L.H.Morgan, Ancient Society or Researches in the Lines of Human Progress
from Savagery through Barbarism to Civilization, 1877.
青山道夫訳『古代社会』上、下巻、岩波文庫
F.Engels, Ursprung der Familie, des Privateigentum und des Staates, 1884
戸原四郎訳『家族・私有財産・国家の起源』岩波文庫
土田保男訳『家族・私有財産・国家の起源』新日本出版社
また、『オレステイア』3部作すなわち、久保正彰訳「アガメムノーン」、久保正彰訳「コエーポロイ」、橋本隆夫訳「エウメニデス」は『ギリシア悲劇全集1』岩波書店、1990に収められている。
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