史上例を見ない奇怪なグローバル帝国主義が跳梁している。統制する枠組を作ることもなく解きはなたれてしまったこの制度にどのように抵抗できるのか。最近の食料を中心とする物価の騰貴に象徴されるように、それを統制することなどもはや誰にもできないようにも見える。先進世界での貧困の加速、第三世界諸国での飢餓の可能性の増大を抵抗することもなく甘受してよいものだろうか。
現実の危機を前にして、グローバリゼーションは世界を統合し、経済と文化の接近を加速的に進め、人類進歩に貢献するという考えを主張したものたちにかってのような勢いはない。マイナス面を見落としていたと言い訳する主張が目立ちはじめている。自らがつくりだしたものの弊害に苛立ちを隠せないでいるものもいる。これも無責任なことではないか。
そもそもグローバリゼーションとは何か、このことが現実をふまえてあらためて問われなければならない時期にはいったのである。
私の立場は明快である。グローバリゼーションを資本主義、あるいは帝国主義の新しい局面、グローバル帝国主義の時代と捕らえようというのは、私の基本的立場である。グローバル資本主義への対抗軸の形成にいくらかでも貢献できること、これが私の課題である。
今回の報告では次の3点について問題提起する。
第1に、グローバル帝国主義は資本主義に固有の寄生性を地球規模に無制約に拡大したところに特徴がある。資本主義の持つ寄生的特性の意味を明確にし、それまでの資本主義が見せたなにがしかの「公正さ」もかなぐり捨て、古典的帝国主義を超える奇怪な体制が誕生したことの意義を問いたい。
第2に、グローバル帝国主義の全体構造の分析視角を提示したい。その地球大的寄生性の極限までの発展、中国、ロシア等のアメリカ、ヨーロッパとはまったく異質の新興帝国主義の登場、その対立と競争の新しい形態。その構図の上部構造として発展する最高の寄生的資本、過剰資金の支配者たち。それらを全体像として示す作業はまだ始まったばかりであるが、考えていることの一端を紹介したい。
第3に、グローバル資本主義・帝国主義の時代はそれに抗って新しい時代を展望することが困難な時代である。それを模索する作業の意義を問いたい。
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