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Global Network 21
グローバル・ネットワーク21
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2008年度春季シンポジウム
:『内からのグローバリゼーション:蒼い地球村再生のための行動計画』

(発表要旨)

混成文明世界における個人とそのアイデンティティー

                                                  

幸泉哲紀

                 

 グローバリゼーションを先導する国際機関、政府官庁、非政府機関、多国籍企業、民間団体を代表する欧米の個人が体現するのは、それぞれの職業人としてのアイデンティティーをもつ自律的な個人という人間観である。こうした人間観に対する違和感が、個人レベルでのグローバリゼーションに対する反感の根底に見られる。思想の歴史からすれば、個人を自律体と見る人間観は、ギリシャ哲学とプロテスタント倫理に発する西洋文明の世界で展開されてきた人間観である。これに対して、非西洋文明の世界で伝統的に支配的であった人間観は、アジアにせよ、アフリカにせよ、そのアイデンティティーが個人の属する社会における人間関係により規定される関係体と見る人間観である。

個人レベルでのグローバリゼーションに対する反感を緩和し、グローバル化された21世紀の混成文明の世界において有意義な自らの存在を確立するためには、個人とそのアイデンティティー、つまり『私は誰なのか』という問いかけを、政治哲学や心理学における最新の議論の展開を踏まえて再吟味する必要がある。というのは、西洋文明の世界においても、グローバリゼーションの先兵である欧米の個人が体現するのは、一つの人間観に過ぎないという認識の広がりが見られるからである。

個人を自律体と見る人間観は、欧米諸国での民主主義社会の理想として依然大きな影響力をもっているけれども、職業、富、人種などによる社会階層化という現実による関係体としての人間観の広がりも見られる。アイデンティティーについては、それが出生、血縁、人種、ジェンダー、性的傾向、地域、国籍、職業、趣味、宗教など、多様な要因により影響されるものであり、したがって、それは(1)曖昧性、(2)柔軟性、(3)多重性、をもつものであるとの認識が広がりつつある。

個人とそのアイデンティティーについてのこうした認識の変容は、グローバリゼーションによる異なる文化・文明を伝統にもつ個人と個人、社会と社会との接触の拡大と深化が、個人レベルでも、社会レベルでも、「混成化」という現象を進展させて来たためだと言えよう。問題は、こうした「混成化」という現実を無視し、世界を相互排他的な文明間の対立と見る、単純で一面的な文明観の展開と政治外交の場でのこの文明観の安易な援用である。グローバリゼーションを自らの成長と発展にとって実りのある社会変化として受容するためには、どの社会においても、個人とそのアイデンティティーは明確に一義的に規定されるものではなく、本来混成的なものであるということを自覚する必要がある。純粋な自律体、自己利益を追求する純粋に合理的な経済人という人間観は、社会思想の世界で一つの理想型としての意味をもつことがあったとしても、それは21世紀の混成文明世界における現実にそぐわない人間観である。内からのグローバリゼーションは、このことを理解することから始まらねばならない。

 

 

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