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Global Network 21
グローバル・ネットワーク21
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2008年度春季シンポジウム
:『内からのグローバリゼーション:蒼い地球村再生のための行動計画』

(発表報告)

『21世紀世界における経済倫理』

                                                  

佐々木 建

                 

1.はじめに:グローバル・キャピタリズムとその危機

 

現在われわれの身の回りに展開されているグローバル・キャピタリズム、あるいはグローバル・インペリアリズムとも言うべきものは何なのであろうか。この疑問について参考になるのは、ジョージ・ソロスが1998年に書いた『グローバル・キャピタリズムの危機』である。ソロスはユダヤ系ハンガリー人で、アメリカに亡命後金融で大きな財産を築き、ソロス財団を設立したことでよく知られている。彼は世界的な規模における金融資本の動きをもってグローバル・キャピタリズムと呼んでいる。彼がグローバル・キャピタリズムというものの存在を気づき、その現実に愕然とした思いをもつ契機をなったのが、1997年の東南アジアでの金融危機であった。愕然たる思いをもったのは、これら東南アジアの国々は「新興産業国」とか「新興経済」とかいわれ、そこでの人々の節約と勤勉で築き上げたキャピタルがまさに瞬時にして消失してしまったからである。そこで彼が考えなければならないとしたのが、過剰資金の流れをどうするのかという問題である。この流れのメカニズムが確立されていないことで金融危機が起こったのであり、これがソロスのいうグローバル・キャピタリズムの危機であった。

過剰資金をどうするのかについては、いろいろな提案がされているが、どの提案も実現されておらず、誰も手をつけかねているというのが現実である。一つの提案は過剰資金に税金を課すことで、ソロスも似たような提案を行っている。世界的な規模で過剰剰資金管理のメカニズムが確立されていないとすれば、各国でもって資金の管理を行うしかない、ということになる。いずれにせよ、過剰資金による投機活動をどう管理するのかが、今日直面しているグローバル・キャピタリズムの最大課題だと言える。

 

2.続出するグローバルな課題

 

現在、食料価格の高騰が注目され、それがもとで暴動も起きている。これからさらに飢餓・餓死といった問題が出てくることも懸念される。このことを受け、食料の輸出を止めるという動きさえ見られるが、これはこれまでの世界が追求してきた自由貿易の原理に反する動きである。この食料問題をどう解決するかが見えないということも、世界経済体制、つまりグローバル・キャピタリズムが現在転機に来ていることを示していると思う。

さらにグローバルな問題としてグローバル・キャピタリズムの将来に関わってくるのが、地球環境危機である。たとえば、Co2削減を2050年までに現在のレベルから50%減らすことが提案されているが、これを誰がどう実行するかとなると、これも投機資金の動きを規制するのと同様難しい。実際、日本は自分の国がどれだけ削減するかについては述べていない。世界的な問題の深刻さは議論されても、具体的に国レベルでどうするかについてははっきりとした方向は示されていない。

 

3.資本主義の倫理性

 

こうした世界的な問題は、資本主義の倫理性ということと関連している。粉飾決算や食料産業の偽装など、日本でもいろいろなスキャンダルが出てきている。しかしここで区別しなければならないのは、市場主義と資本主義である。資本主義というのは、もともと貨幣との関連で出て来た体制で、貨幣をめぐるさまざまな論争・抗争が今日の銀行とか利子のあり方に大きな影響を及ぼしている。

中近世における最大の問題は利子をどう取り扱うかということであった。これは勤労することなく厖大な所得を得る階層が存在したということである。イスラム社会では利子は神の教えに反するということで禁止し、またカトリックの世界でも利子を禁止する法律を施行することもあった。しかしカルヴァンやルターなどのプロテスタントの世界においては、融資は市民社会へ貢献するということで低利ならよいということになった。つまり利子による利得を容認したのが資本主義の出発点なのである。資本主義はその後も金融に関する取引を中心に展開してきた。これに絡んで発展して来たのが株式会社と証券取引所である。

マルクスは資本主義の金融性ということを余り問題にしておらず、これを問題にしたのは例えばヒルファーディングである。資本主義では資本はものの生産に使われるけれども、過剰資本は株式の売買という形で2重の働きをする。株式の売買で利得を得る人々はものの生産に興味をもたず、株式の売買のみからの利得に関心をもつようになる。株主にとっては自分が株を所有する会社の業績がよく、配当さえもらえればよいからである。このように、もともと資本主義というのは金融が上部構造をなすような体制として登場して来た経緯がある。それが独占資本主義になり、さらにグローバル・キャピタリズムと展開することで完成をみたと言えよう。グローバル・キャピタリズムの問題を考える場合、資本主義の金融的な側面と生産的な側面との両方を見ていくことが重要である。

金融面では、今日過剰資本が横行しており、生産と関係なく動いていることに問題があると言える。具体的には、株式、外国為替、農産物の先物、金などにおける投機活動である。投機活動の場の広がりのため、従来株式市場が暴落をすれば大きな損失をこうむった資本がすぐさま他の投機対象、例えば金や穀物市場に流れるという事態になっている。これに政策的にどう対処するかについては、残念ながら見通しがないというのが現状である。

 

4.グローバル・キャピタリズムの実態とその倫理性の変容

 

グローバル・キャピタリズムについては、多国籍企業の問題も忘れてはならない。多国籍企業はもともとナショナルなものであったが、それが最近はまさにマルチナショナルになったと言える。それに国境を越えての人やものの移動が顕著になった。軍隊においても外人の傭兵という現象が多く見られるようになっている。アメリカにおいてもそうである。イギリスのロンドンでテロ活動を行ったのも外国から入り込んで来た人間である。先進国においては、労働者を含め、周辺の国の何らかの搾取なしに生活水準の維持ができない状態になっている。

世界市場における主役の交代も、現在のグローバル・キャピタリズムの動向として注目される。従来、アメリカ、ヨーロッパ、日本が中心であったのが、ロシア、中国、インドが大きな役割を果たすようになってきている。このことは、アメリカ、ヨーロッパの資本主義を支えてきた倫理性とは違ったものが出て来ることを意味する。例えば、ロシアはその天然ガスの供給を操作することでヨーロッパに大きな影響をもっている。つまり資源と軍事力を背景とした市場操作である。中国もアメリカやヨーロッパが行ってきたのとは違う市場操作を行っている。このようにグローバル・キャピタリズムは、従来になかった新しい力関係が出てきており、それだけに倫理性の問題も含めて、これからの見通しが難しくなっている。

 

5.われわれに何ができるのか

 

それではわれわれはどうすればよいのかというと、その解答は大変難しい。国内だけでの資本や市場の統制とか、一国による世界市場支配だと話は簡単だが、今日のように新しい力関係で世界市場の中心が分散し、また過剰資本のように極めて流動的なものについては、一体どのように対処するのか、これまでの通念では理解しきれない。国境を越えた多国籍企業をどう統制するかも、これまでわれわれが体験したことのない問題である。

例えば、食料価格騰貴の問題一つをとってみても、自らの政府を非難してもそれで問題が解決する訳ではない。というのは価格の操作をおこなっている主体は外にあり、それにどう対処するかはまだ分かっていないからである。環境問題にしても、先進国のどこに非難の鈴をつけるのかと言えば、それは大変難しい。日本政府に対してはっきりとした数値目標でもって政策を示せと圧力をかけるものは誰もいない。国民としても大きなCO2削減の目標を掲げても、耐乏生活を強いられるということであれば、誰もついていかない。

ただ言えることは、これまでのような国家における国民という視点からではなく、地球村における地球市民という視点から問題を見ていく必要があるということである。われわれがこうした新しい市民性を獲得することで行動していかなければ、今の世界の問題の解決はできないと思う。国連についても、もはや現在のグローバルな問題に対処できない。世界連邦を提唱するものもあったが、それも今の現実に合わない。世界憲法を作るという議論についても同じである。というのはこれらの憲法学者がイスラム世界やアフリカについてどの程度の理解をもっているかは疑問だからである。

そこで私が行きついたのが地球市民ということである。そして地球市民に必要なことは学習と対話ということである。それで新しい共通項目を見だしていくことだと思う。今までの視点とは違った視点から世界を見直すということしか、新しい世界の現実に対処していかれないからである。

 


 

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